ゲスト | 原一男さん(映画監督) 村松昭夫さん(大阪アスベスト弁護団副団長、弁護士) |
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パーソナリティ | 西谷文和(ジャーナリスト) |
テーマ | 人命より経済優先? 大阪泉南アスベスト訴訟を考える |
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■国は民を見捨てたのか? 地獄のような健康被害
泉南地域は、戦前(約100年前)から、石綿(アスベスト)産業の中心地。大企業に石綿製品を納入するなど基幹産業を支えてきました。
一方、国はこの地域で健康被害が生じていることを早くから知りながら、産業への影響に配慮して対策を怠ってきたと、村松弁護士は指摘します。「魔法の鉱物とまで言われるなか、そこで働く人々や住民の健康が犠牲にされた。このことを問うのが国賠訴訟だ」。
ラジオフォーラムではスタッフが住民の方々を取材。そこではアスベストにまみれた、かつての労働現場の生々しい様子が語られます。村松弁護士は「ほこりが健康に悪いということはわかる。しかし二度と治らない病気になるなどということは誰も知らされていなかった」と指摘します。
一方、5年にわたって被害を追い、ドキュメンタリー映画『命てなんぼなん? 泉南アスベスト禍を闘う』を製作した原監督は「本当に残酷な病気。現在の医学では治せず、その未来が壊される。そうした人々にカメラを向けることは非常に辛かった」と振り返り、お風呂の湯気でもむせて咳き込んでしまうという、被害に苦しむ人々を取材した際のエピソードを声を詰まらせながらに語っていただきました。
■「心を鬼にして」被害の実態を訴える
訴訟は1陣と2陣。1陣は2011年8月の控訴審判決で、国の責任を認めた一審判決を全面的に取り消して、健康被害の賠償請求も棄却する不当判決が下り、現在最高裁へ上告中。一方、2陣は2012年3月、先の不当判決を覆すかたちで、大阪地裁で国の責任を認める判決が下り、8月23日は高裁での結審、年内に判決を迎えます。
「この高裁で勝って、1陣の不当判決を取るのか、国の責任を認める2陣の判決を取るのか、最高裁に問うていきたい」と村松弁護士は力を込めます。スタッフによるインタビューの中で、原告団の佐藤さんは「主人に判決が出るまで頑張ろう、長生きしようと言うのも酷だった。『こんな苦しいのはもうええ』と。そんな状態なので、早く解決してほしいという思いでいっぱい」と涙ながらに語りました。
一方、被害の実態を伝えるために、弁護団や原告団が「心を鬼にして」撮った映像もあるという原監督。「それはどちらにも勇気がないとできないこと。実態を伝えるために、つらさを乗り越えていったことを意味している」と語りました。
「見えない時限爆弾」アスベスト禍と闘う 大阪泉南の被害者にきく
■明治から石綿工場集中 「マスクつける指示もなかった」
大阪南西部の泉南阪南地域では、戦前からアスベスト(石綿)が産業として盛んだった。だが、その歴史は被害の歴史でもあった。零細工場が大半であり、粉塵の排気装置がなかったところも多かった。多くの人がじん肺、悪性中皮腫などで亡くなり、今も苦しんでいる。被害の実態は地元では知られていたが、有効な解決策が打ち出さないまま被害者は長く放置されてきた。国の責任を問う裁判(第2陣)が8月23日に大阪高裁判決を迎える。5月末、原告3人に裁判への想いを聞いた。(聞き手:ラジオフォーラム・鈴木祐太)
Q:裁判が始まった経緯は?
岡田陽子:アスベスト工場の労働者が病気になる、というのは知られていました。大手機械メーカーのクボタが従業員と周辺住民にアスベスト関連の病気を認め見舞金を払ったクボタショックで大きくアスベストの問題が取り上げられたのが05年でした。泉南には明治から石綿工場あり、被害はこっちの方が古いぞ、というので掘り起こしが始まり、原告8人で提訴しました。私は87年から、自分の体にアスベストが入っていたのは知ってました。役所には、自分や家族が発病したらどうなるんやってずっと言ってきましたが、いつも鼻であしらわれました。親たちの労災の手続きをする度に、制度が少しでも変わっていかないとと希望を持って問うてきましたが、全く動きはありませんでした。一人の力を弱さというのをしみじみ感じたので、裁判に参加しました。
石川チウ子:私は隠岐島から出てきて10年間石綿工場で働きました。マスクをつける指示もかったので、着けずに働いてました。病気になったのは驚きですが、マスクをしていても、隙間から入ってくるので病気になったのではないか、と考えています。
佐藤美代子:私の主人はアスベストの仕事を32年間してきました。弁護士さんに「裁判をかけましょう」と声をかけていただいた時には、主人の体はだいぶ弱っていましたが、「俺は裁判するのは嫌なんや。石綿の仕事をしてきて、子どもも育てて生活もしてきた。それやのになんで会社を訴えないとダメなんや。それで子どもも大きくしたし、生活も成り立ってきたんや。だから、裁判なんかせぇへん」と拒みました。でも、6か月後に主人に内緒で訴訟を起こしました。最初のうちは、主人にばれるから裁判所にも行きませんでした。主人の体がだんだんだんだん悪くなるので「裁判起こしたくないのは分かるけど、私はあんたの体が心配やから裁判起こそうよ」と頼んだ。「おまえはそんなにお金が欲しいんか?それでも、裁判起こすんか?」ってすごい怒りながら息づかいも荒くなっていった。何回か裁判所に行くうちに、訴訟に入ったことが(夫に)ばれました。主人が日に日に悪くなるのをずっと見ているのは、たまらないほど辛かったです。09年6月に主人は亡くなりました。
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誰もが中皮腫になるわけではない。しかし、誰もが中皮腫になる可能性がある。目に見えないものを知らない間に吸い、何十年もの潜伏期間を経て病気になる。そのアスベスト(石綿)の病気は今の医学では治すことが出来ない。すなわち、病気を宣告されることは「後は死を待つしかない。」ということ。アスベスト被害の責任を国に問う訴訟の原告代表・岡田陽子さんに被害の実態と自身の健康状態を5月末、聞いた。
Q:今の健康状態はいかがですか。
岡田:今は24時間、酸素を吸ってます。どこへ行くのも酸素が離せません。アスベスト関連の裁判に行ける時は行きます。外へ出ない時には一日家の中にいてゴロゴロしています。雨戸は重たいから開けたら開けっ放しです。子どもがいるので、食事は一応つくりますけど、掃除ができていなくて、お客さんがきたら困るなという状態の家です。掃除をしないといけないとは思うけれど、体が動きません。
Q:最近、特に困ったことはありますか。
岡田:睡眠薬が切れると全く眠れませんが、飲んでいる時でも4時間ぐらいです。この前、薬を切らしてしまって、全く眠れませんでした。3日も寝てないせいで、余計に体調の方がバランスを崩してしまって、呼吸もしんどく、動悸もあり、血圧も上がってしまいました。私の病気は今後どうなるのか心配です。57才で血圧230だと笑われそうですが、本当に苦しいです。休憩をするとマシになるけど、少し動くと230まで上がって動けません。その上に、咳をするから余計に血圧が上がります。ふたり分の茶碗を洗うのに、台所に長く立つとしんどいので、一度、休まないとできません。何をするのでも休憩とワンセットです。普通の人がすることができないです。
Q:何歳から体調悪くなったのですか?
岡田:子どもの頃から少しずつ悪くなっています。いい状態というのが子どもの頃からないので、息苦しいということを知りません。だから、しんどい、という表現しかできない。
Q:何をする時が苦しいですか。
岡田:普段はお風呂に入るのも腰までしか入れません。だから冬でも半身浴です。胸まで浸かるとお風呂の水圧で苦しい。普段から圧迫された感じがあるので、お湯に入ると本当に苦しい。一瞬だけお湯に浸かったらそれで終わり。あとは腰から下だけしか浸かりません。
淡々と話す岡田陽子さん。しかし、その言葉ひとつひとつから、苦しみや怒りが伝わってくる。岡田さんは工場の社宅で生まれ育ち、両親は共に石綿労働者で、石綿が原因で亡くなっている。一審判決では元従業員には賠償を認めたが、近隣住民である岡田さんは認められなかった。
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○泉南地域の石綿産業
泉南地域には100年の石綿の歴史がある。戦争中は軍艦などの軍需品に使われ、戦後は耐火服、耐火手袋など生産し、高度経済成長を支えてきた。被害の実態調査で、国は石綿の被害を分かっていた。それにもかかわらず、彼らは放置されてきた。最盛期の60年代には200以上の工場があり、2000人以上が働いていた。しかし、ほとんどが零細で粉塵の排気装置がある工場は少なかった。被害を受けた人には、沖縄や離島をはじめとする地方出身者、在日朝鮮人、被差別部落といった社会的弱者も多かった。
○石綿=アスベストとは
アスベストは天然に存在する鉱物の一種で、耐熱性、電気絶縁性に優れ、摩擦、酸とアルカリに強く加工しやすい利点がある。その一方で、粉塵を大量に吸い込むと、20~40年の潜在期間を経て中皮腫や肺がんなどを引き起こす。そのため、「静かな時限爆弾」と呼ばれている。アスベスト全体の約8割は、ビルや工場などの建材に対して使われており、これらの建物の解体のピークは2020年頃と言われている。
○泉南アスベスト訴訟とは・・・
戦前からアスベスト紡織産業が盛んだった大阪府南西部・泉南地域の人々が「石綿肺にかかったのは国が規制を怠ったため」として06年に国家賠償請求訴訟を提起。一審は、「国がアスベストの危険性を認識していた時期に被害を防ぐ規制権限を行使しなかったのは違法」として原告が勝訴したが、二審の大阪高裁では敗訴。現在最高裁に上告中。第2陣訴訟は一審で原告が勝訴したが、原告、国とも控訴。高裁判決は8月23日の予定。
○インタビューに応じていただいた原告の紹介
岡田陽子さん(57歳)
父と母が働いていて泉南の濱野石綿の社宅で生まれる。父は95年、母は11年、ともにアスベストが原因で亡くなる。陽子さん自身は、アスベスト工場で働いた経験はなく、元気な時は看護師をしていた。原告団代表
石川チウ子さん(75歳)
島根県隠岐郡西ノ島生まれ。57年から68年まで泉南の三好石綿で働く。06年びまん性胸膜肥厚と診断。
佐藤美代子さん(64歳)
夫の健一さんは74年から05年まで、5つのアスベスト工場で働いた。石綿肺になった後、肺がんも併発し、09年9月に多臓器不全のため64歳で亡くなる。
■京都に米軍レーダー基地の脅威?
もうひとつのテーマは、京都府京丹後市に計画されている米軍Xバンドレーダー設置問題について。現地で反対運動を続ける「米軍基地建設を憂う宇川有志の会」の永井友昭さんにお電話をつなぎました。
1,000kmの探知能力をもつというXバンドレーダー。丹後半島の先、経ケ岬が設置場所とされ、国内では2カ所目。
永井さんは設置の狙いとして「当初は核兵器を多く保有する中国へ対応するため。北九州あたりで場所を探していたようだが、どういう事情か、中国を刺激したくなくなったのか、あるいは北朝鮮の動きも伴ったためか、経ヶ岬に絞ったようだ」と明かします。
3ヶ月もあれば設置できるというレーダー。永井さんから市長はどちらかと言えば受け入れ寄り、といった現状の動きを解説いただきました。
■絶対赤字にならない総括原価方式の旨味 – 小出裕章ジャーナル
なぜ電力会社は原発を再稼働させたがるのか? その背景にあるのが「総括原価方式」。電力供給に必要と見積もった年間費用をすべて回収できるよう電気料金を設定するシステムで、年間費用に一定の利益を上乗せして電気料金が決められます。
小出さんは電力会社としては資産を持てば持つほど利潤が上げられ、電気料金も上げることができるとしつつ、「福島事故は、東電でも簡単に倒産してしまうような被害が出る。他の電力会社も原発が不良債権になってしまうところまで追い詰められている」と指摘します。
原発の減価償却期間は16年。それを過ぎると固定資産税が非課税となり、稼働させればさせるほど利潤が得られることになります。小出さんは「電力会社にとってこれほどウマイ話はない。古い原発でも使い続けたがる」。
電力改革で総括原価方式も俎上に乗っていますが、「官僚と財界が結びついてしまっているので、この方式を覆すのはまだ先。しかし電力自由化の流れもあって、いずれ破綻することは明らか。電力会社の経営者には、ちゃんと未来もみてくれよと言いたい」と苦言を呈します。
一方、廃炉をするにも膨大な費用がかかります。小出さん「それを嫌って先延ばしにすれば、それだけ費用が膨らんでいく。一刻も早く決断して、これまでのツケを払うしかない」と指摘しました。
ゲスト略歴
原一男(はらかずお)
1945年生まれ。映画監督、大阪芸術大学映像学科教授。1972年、「疾走プロダクション」結成。『ゆきゆきて、神軍』(1987年)でベルリン国際映画祭・カリガリ映画賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ賞受賞、日本A映画監督協会新人賞、報知映画賞優秀監督賞など。ドキュメンタリー映画の鬼才と称され、マイケル・ムーア監督が来日の際には真っ先に原監督に表敬訪問するといわれる。
- アスベスト問題(Wikipedia)
- アスベストと健康被害(大阪アスベスト弁護団)
- 国家賠償訴訟を勝たせる会
- 大阪アスベスト弁護団
- 国賠訴訟の概要と意義―結審と判決に向けて(2009年7月27日記者レク資料)(大阪アスベスト弁護団)
- 大阪・泉南アスベスト国賠訴訟 2陣訴訟の控訴にあたっての声明(大阪アスベスト弁護団)
- 泉南アスベスト国賠2陣訴訟大阪地裁判決報告(大阪アスベスト弁護団)
- 8月23日、第2陣訴訟大阪高裁で結審。多数のご参加を!(国家賠償訴訟を勝たせる会)
- 『命て なんぼなん?-泉南アスベスト禍を闘う-』上映会開催のお願い(国家賠償訴訟を勝たせる会)
- 原一男(Wikipedia)
- 疾走プロダクション
- 総括原価方式(kotobank)
- 電気事業と電気料金の仕組み(東京電力)
- 米軍Xバンドレーダー配備 2カ所目は京都・経ケ岬(2月24日産経新聞)
- Xバンドレーダー配備計画 京丹後市が防衛局に追加質問提出(5月13日産経新聞)
- 経ヶ岬(京都府京丹後市)
- Xバンドレーダー(kotobank)
- 海上配備Xバンドレーダー(Wikipedia)
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